もっともっと世の中に笑顔を

農業!たいこや

“たいこや”に参加している農家さんたち

たいこや”は、
「全ての人の元気の後押しになれるような野菜を育てたい。」
「世の中の笑顔をもっともっと増やせるような野菜を提供したい。」
という願いをもった農家さんが協力して運営しています。
それぞれの思いや願いをもった農家さんを紹介致します

-吉田ご夫婦-

-吉田ご夫婦-

-森田ご家族-

-森田ご家族-

吉田 昭・廣美ご夫妻

無農薬栽培への迷い

就農してから、本当に多くの方達との出会いと助けをうけて、今も農業を続ける事が出来ています。
おそらく生活をかけて農業の世界に飛び込む人にとって、無農薬という選択はとても勇気が必要だと思います。
私も農地を借りる事が出来てから、無農薬ではじめるか、農薬を使って安定を選ぶか大いに悩みました。

無農薬栽培への迷い

無農薬栽培への決意

モンモンと悩んでいた折、夜中に突然、以前からファンだった九州の有名な無農薬農家さんのところへ向かう事に。
しかも下道を軽トラで向かうという、無謀な思い付きでした。
翌々日の朝日が昇りはじめた頃にやっと目的地と思われるあたりに到着。
凄いオーラの人参畑に辿り着き、もしかしてココかなーと畑を見つめていると、急に上から「どっから来たんや」と人の声。
「えっ⁇あっ…神戸です」
「ふーん。そこの人参抜いてみい」
「えぇっ??」
訳もわからず目の前の人参を引き抜くと、超立派な人参が!
そして朝日の加減だったとはおもうのですが、何故か金色にピカピカと光ってました。
???と完全にパニック状態になっていると
「喰ってみい」と無茶なご指示が。
言われるがまま服で土だけ拭いて、そのままガブリ。
あまりの甘さと美味しさにまたまた放心状態。
「どうや?」
「めちゃくちゃ美味いです」
「そうか、ゆっくりしていけ」
目当ての方だったとは、聞くまでもありませんでした。
その後12haという広大な農地を案内してもらい、無農薬でも農業が出来る事を目の当たりに見せていただきました。
素晴らしい人柄にもふれさせていただき、無農薬で頑張ったら親方のようになれるのかも、と身の程知らずな下心もしっかりチャージして神戸の帰路へ。

本物との出会い
本物との出会い

支えとなった人達

帰ってきてすぐに、神戸の無農薬農家を探すと、同じ西区にいらっしゃるじゃないですか!
早速連絡を取り、快く研修を受け入れてくれたのが五島農園の五島夫妻です。
ここの研修で出会った人達が今でも、私を支えてくれています。
農家!たいこや。として今でも一緒にやっている森田さんとは、ここでの研修生同士として知り合いました。
紹介していただいた農機具店、兵庫スクリュウ商会の上田社長は、あらゆる面で私を助けてくれている、恩人です。
そして高額な農機具を複数持てているのも、五島農園で出会った研修生同士で農機具をシェアできているからです。
無農薬での栽培は農法も大きな悩みどころですが、根本的な土壌環境の原理や、土作りの考え方を学ばせてくれた、BLOF理論の小祝先生も五島さんから教えていただいた方でした。
その農業理論を、就農地で実践する為に試行錯誤を繰り返し、最終的に辿り着いた吉良商店の神谷会長にも、出会ってからずっと助けていただいています。

妻との出会い

そして今や5haにまで広がってしまった農地も、村の皆さんのサポートがあっての事です。
最初から作りたかった稲作ですが、新規就農者には設備投資が大きすぎて、現実的では無いのですが、最初のキッカケを作ったくれたのも、五島農園や、就農した村で知り合った仲間のおかげでした。
そして五島さんが、私の為に研修制度を頼み込んでくれた先で知り合ったのが、今の私の奥さんです。

妻との出会い
私たちにとっての農業

私達にとっての農業

森田さんと、耕運機一台と、刈り払い機一台の貸し合いから始めた無農薬農業。
10年失敗ばかりで、もがき続けていますが、今でも本当に楽しい。
無農薬での就農は、今までの人生では気づけなかった事を教えてくれます。
自分一人では何もできないという現実も、農業で思い知りました。
そして自分を助けてくれる人が、周りにこんなに沢山いるんだという事を気付かせてくれたのも農業です。
苦労して出来上がったお米や野菜を食べて、美味しかったと言ってもらえると、本当に嬉しいです。
でも、もっと嬉しい事は、ありがとうと言ってくれる皆さんや、私を支え続けてくれている方々のの為に、自分が一生懸命になれているという事です。
これからも農業は、私に大きなモチベーションと楽しみを用意してくれそうです。
いただいたエネルギーを皆さまに美味しい農産物としてお返しできるように、これからも全力で、楽しみながら頑張ります!

-森田ご家族-

森田守(1977年7月8日、神戸市垂水区出身)(菜っ葉の日に生まれた、もりとたんぼを守るひと)
森田那岐佐

なぜ農業へ

神戸、大阪、東京と場所を変え、10年ほどのグラフィックデザイナーを経て2011年4月に有機農業の世界に飛び込みました。デザインは大好きで、仕事としてもたいへんやりがいのある業界なのですが、毎日、PCと向き合い、昼夜逆転の生活環境に限界を感じ、一念発起。ものづくりを根本から楽しもうと農業に目を向けました。
農業未経験の新規就農、しかも資金もほぼ0の状態から地元神戸に戻り、五島農園さん(https://gotland-kobe.jimdofree.com/)にて1年間みっちり有機農業を研修。(今思えば、本当に無謀な挑戦だったと思いますが、それだけ思いきれるだけの魅力が農業にはあったのでしょう。)

なぜ農業へ
仲間がいたからこそ

仲間がいたからこそ

そこで出会った、吉田さんとともに2012年に西区押部谷町に就農しました。
やはり苦労の連続でしたが、村の方々の支えや、同時期に就農した仲間との切磋琢磨でここまで続けることができています。感謝です。

家族みんなで!

人参を主体とした季節野菜の栽培、稲作を無農薬でみなさまに届けられるよう楽しんで頑張っています!
東京でのデザイナー時代に出会った同郷(同小学校、中学校)の妻の支えの元、2児の父親として、家事、育児にも奮闘中!

家族みんなで!